***原作シリーズ***悲恋炎上、そしてここから***
『なんて素敵にジャパネスク〜二次小説』
注)このお話は一話完結です。
原作の行間を埋めるような小説ですのでネタバレとなっています。
原作未読の方はご注意ください。
***原作シリーズ*** 悲恋炎上、そしてここから ***
承香殿女御が皇子を無事出産したことを受けて、都は以前の活気を取り戻している。
誰もが皇子の誕生を喜び祝い、名だたる貴族たちは連日連夜の宴を開き、世の中はお祝いムード一色である。
一日の政務を終え、清涼殿に戻ったわたしは、ふと、外の気配に耳をそばだてた。
初秋の夜空には望月が浮かび、その月光が庭の呉竹の葉を照らし出している。
ふいに風が吹き、呉竹の葉を揺らした。
暑かった夏も終わり、季節は確実に移ろっているようだ。
実りの秋、収穫の秋、宮中では新嘗祭、豊明節会と続き、五節の舞が宮廷を華やかに彩ることだろう。
文字通り、慶事続きとなる。
だが・・・。
「ふぅ・・・」
わたしはため息をついた。
どうにも気分がすぐれない。
原因はわかっている。
わかってはいるが、晴らすことができないでいる。
仮にわたしがもっと気軽な身分であったなら、あるいは晴らすことができたかも知れない。
誰かに聞いてもらうと言う手もあるだろう。
酒に逃げるか、女に溺れるか、あるいは・・・・出家か・・。
だが、帝と言うわたしの立場では現実的に無理である。
「主上、右近少将が参られましたが」
ふいに声を掛けられて振り向くと、大納言典侍が庇に控えていた。
高彬か。
頼んであった書類を、早々に仕上げたと見える。
「ここへ」
短く答えると、典侍は立ち上がりかけ、ふと動きを止めた。
「秋風は身体に障りますゆえ、格子を下ろさせましょう」
大納言典侍は五十をとうに過ぎた古参女房であり、わたしが幼い頃より仕えていたこともあり、時々は母のような口調になる。
「もう少し・・・月を愛でていたい」
大納言典侍は小さく頷き、ふと声を落とし
「主上、あまりお悩みなされますな。すべてが過ぎたことでございますよ」
呟くようなひそやかな声で言った。
「・・・・・」
さすがは古参女房だ。
平常通りに振舞っていても、わたしの心の闇を見破っていたらしい。
目で頷いて見せると、大納言典侍は一礼し、するすると下がっていった。
入れ替わるように高彬が現れ、簀子縁に腰を下ろすと平伏し、わたしが声を掛けるのを待っている。
「もう仕上げたのか。仕事が早いな」
「は」
深々と頭を下げる高彬は、おそらくはわたしが良しと言うまで頭を上げないだろうと思われ、ふと微笑を誘われた。
相変わらずの堅物ぶりだな。高彬。
・・・だが、もしかしたらわたしは失っていたかもしれないのだ。
この臣下を。義弟を。
『高彬が若死にでもすれば、瑠璃姫を尚侍として出仕を・・・』
以前、そんなことを言ったことがあったが、今、思えばとんでもない言葉であったと思う。
そんなことがないと思えばこその戯言、軽口であった。
扇を鳴らすと、高彬は深々と頭を下げ、立ち上がるために顔をあげ、月明かりがあたった横顔を見た時、ふいにその思いが湧きあがった。
あるいは、高彬なら。
「・・・時間はあるか。高彬」
気付いたらそんな言葉を口にしていた。
腰を浮かしかけた高彬は、一瞬、視線をあげ、すぐに
「ございます」
短く答え、座り直した。
「今宵は月が美しい。・・・少しばかり、おまえと話がしたい。いや、話と言うほどのものでもない。独り言だ。そこで聞いてくれるだけで良い。返事は不要だ」
一気に言うと、高彬は平伏しながら
「は」
どこまでも礼を失わずに言う。
「そう畏まるな、高彬。臣下としてではなく、義弟としてだ。顔を上げろ」
ゆっくりと高彬が顔をあげ、わたしは、ふと夜空に目をやった。
澄み切った秋の空に浮かぶ月は、いっそ不吉なほどに美しい。
「・・・あの日から、心の休まる日はなかった・・・」
はっとしたようにわたしを見る高彬の気配があったが、目をそらしたまま続ける。
「皆がわたしを気遣う。女御を亡くし、幼い東宮をも亡くし、そして信頼していた臣下に裏切られた悲劇の帝として。さっきの女房もそうだ。皆の気遣いは嬉しく思う。・・・・だが」
いったん言葉を飲み込み、わたしは心の澱を吐き出した。
「わたしの真の苦しみはそこではない」
ゆっくりと目を閉じる。闇が広がる。
「わたしは・・・幼い東宮を・・・愛していなかったようだ・・」
秋の風が、また呉竹を揺らしている。
「承香殿が皇子を生んだとき、それがはっきりとわかった。白梅院で初めて対面したとき、皇子の姿に心が震えた。抱き上げたとき、嘘ではなく身体が震えた。だが・・・東宮のとき、これほどの思いは湧かなかった・・・」
わたしは小さくため息をついた。
「父の愛情を知らないままに、東宮を死なせてしまった。桐壺にも・・・気の毒なことをした。後宮での生活は不安な日々だったと思う。2人に済まないことをした・・・・」
ずっと棘となっていた思い。
「死なれたことはもちろん辛く悲しい。だが、それよりも愛してやれなかったことが悔やまれるのだ。その思いがわたしを責め続ける・・・」
わたしは二人に何をしてやった?
「高彬。どうやらわたしは愚帝のようだ。とてものこと人の上にたつような器ではない。一人の妻も、一人の我が子も守ってやれなかったのだよ・・・」
秋の空の闇は深くどこまでも吸い込まれていきそうになる。
どれほどの時間がたっただろう。
ふいに虫の音が聞こえ、わたしは我に返った。
「高彬。引き止めて悪かったな。今の話は忘れてくれ」
声を掛けると高彬は平伏したまま、返事もなくその場を動こうとしない。
「どうした。下がっていいぞ。瑠璃姫がおまえの帰りを首を長くして待っているのだろう。おまえたちの夫婦仲の良さは、殿上でももっぱらの評判だと聞いておるぞ」
聞こえているのかいないのか、高彬は微動だにしなかった。
「あまり引き止めると瑠璃姫に・・・・」
「恐れながら申し上げます」
高彬がわたしの話を遮り、珍しいこともあるものだと内心思っていると
「月の美しさに誘われたのか、わたくしも独り言をつぶやいてみとうなりました。畏れ多いことながら、義弟の独り言に、少しばかりのお時間を頂戴できますでしょうか」
「ほぅ」
高彬が独り言とは。
仕事の愚痴か、はたまた婚家での鬱憤か。
わたしはふと興味を引かれ軽く身を乗り出した。
「よし、わたしはここで月を眺めているとしよう。今宵の月の美しさは格別だ。返事はせぬ。その独り言、申してみよ」
「は」
高彬の顔はなぜだか強ばっているように見えた。
居住まいを正し小さく息を整えると、高彬は静かに語りだした。
そこから始まる義弟の独り言は、わたしの想像をはるかに超えた、衝撃の内容のものだった・・・。
*************************************************
夜も更けた頃、わたしはひっそりとした網代車に乗り、一路、白梅院を目指していた。
月明かりが網代車の影をくっきりと作っている。
最初は、お忍びなどとんでもないことだと目をむいていた大納言典侍も、わたしのただならぬ様子に何か感ずるものがあったのか、すべてを良き様に取り計らってくれた。
それでも出掛けには
「主上、二刻だけでございますよ。それ以上は、わたくしには押さえが利きませぬゆえ」
と念を押されてしまった。
車に揺られながら、思い出していた。
遠い昔、まだ東宮だった頃、こんなふうにお忍びで宮廷を抜け出したことがあった。
その時、わたしの身代わりとなって部屋にいたのは・・・・。
白梅院に着くと、承香殿のいる対の屋の庭先にまで車を付けさせ、慌てふためく白梅院の女房らや従者を尻目に、わたしはものも言わずに室内に飛び込んだ。
「・・まぁ、主上・・・!」
突然のわたしの登場にすっかり驚いた様子の承香殿の顔を見た途端、わたしは女御を、公子を抱きしめていた。
「主上・・!どうなさいましたの・・・」
驚きつつも、柔らかな笑いを含んだ公子の声は、わたしの顔を見ると一変した。
「何かございましたの?主上」
心配げに見つめる公子の顔は、出産のためか幾分、面やつれはしていたが、それでも母となった自信がそうさせるのか、以前よりもさらに美しく慈悲に溢れているように思われた。
「公子・・・」
わたしは縋るような思いで公子の手を取った。
*****************************************************
「高彬が・・・そのような話を・・・」
わたしの話を聞くと、公子はそう言ったきり絶句してしまった。
「そうだ。この耳で聞いた・・・」
「にわかには信じがたいお話ですが・・・・でも・・・高彬が言うのであれば真の話なのでしょう・・・」
わたしは大きく頷いた。
そう。あれが嘘をつくはずがない。
「・・・では・・・・皆・・・生きておられるのですね・・・」
公子は声を詰まらせ、わたしは何度も頷いた。
「良かった・・・。生きておられるのならば・・・・良かった・・・」
袖口で顔を覆い流れる涙をぬぐっている。
「わたくし、東宮さまのことを思うと胸がつぶれる思いがしておりましたの・・・。死は痛ましいものですが、とりわけ幼い子の死はむごく痛ましいものですわ・・・。自分が皇子をお生み申し上げてからは、桐壺女御さまのお気持ちはいかばかりだったかと・・・・」
公子が小さく合図をすると、隣室から乳母に抱かれた皇子が入ってきた。
乳母から公子へ、そしてわたしへと渡される。
「・・・少し見ないうちに・・・大きくなったようだな」
幼い皇子はわたしに向かい、その小さな手を伸ばしてきた。
「父が・・・わかるのか・・・」
公子もそっと寄り添うように皇子を覗き込んだ。
産着を通して伝わる柔らかな身体が、無心に光を宿すその瞳が、命の温かさを伝えている。
「命とは・・・まばゆいものだな・・・」
呟くと
「えぇ・・・」
公子は新たな涙を誘われたように声を詰まらせた。
「我が子とは・・・可愛いものだな・・・」
声がかすれ、わたしの頬にも一筋の涙が伝う。
「えぇ・・・そうでございますわね・・・主上・・」
公子が隣で何度も頷き、そうしてわたしたちは寄り添い、飽きることなく皇子を見つめ続けた。
***********************************************
朝の政務の前、高彬を呼びつけた。
すぐにやってきた高彬は、昨夜と同じように簀子縁に腰を下ろすと平伏した。
緊張しているように見えるのは、多分、気のせいではないだろう。
「・・・・礼を言うぞ、高彬」
声をかけると、はっと顔を上げ、すぐに深々と頭をさげた。
「瑠璃姫も、おまえも・・・危うい目に合わせた。許せ」
「もったいないお言葉でございます」
実直な声で高彬が答え、そのまま平伏している。
「実は・・・折り入って頼みたいことがある。鳥辺山に投げうったままの焼死体だが・・・どうかねんごろに弔ってやって欲しい。そして、帥の宮の縁者で探し出せるものは都に呼び戻し、なにがしかの仕事を与えてやってもらいたい。難儀な仕事だが引き受けてくれるか。おまえにしか頼めない」
高彬は顔をあげると
「もったいないお言葉でございます。誠心誠意つとめる所存でございます」
深々と頭を下げ、その声はほんの少しだけ震え、高彬の隠しきれない感情が伝わってくるようだった。
高彬。
おまえが義弟で嬉しく思うぞ。
目の前には清々しい朝の秋の空が広がっている。
遠野宮よ、おまえもこの空をどこかで見上げているのか。
今、どんな暮らしをしている。
宮育ちのおまえには辛いことも多かろう。
だが、生き抜け。
愛する妻と子のために命を賭けられたおまえだ。
命ある限り、生き抜いて欲しい。
そして、いつかまた会おう。
昔のように戯言を言い合って笑い合おう。
「・・・この空は和泉まで続いているのであろうか」
呟くと、はっと高彬が顔を上げた気配があった。
少しの沈黙のあと
「御意に」
深々と頭を下げ高彬は答えた。低く力強い声だった。
見上げた空はどこまでも青く、闇ははるか彼方へと遠ざけられているようだった。
風が吹き、また呉竹の葉を揺らした。
<終>
原作シリーズ、ここに完結いたします!お付き合いありがとうございました。
彼らの未来に幸あれ!
原作シリーズ、楽しんでいただけたら「楽しかったよ!」の拍手をお願いします♪
↓
(←お礼画像&SS付きです)
注)このお話は一話完結です。
原作の行間を埋めるような小説ですのでネタバレとなっています。
原作未読の方はご注意ください。
***原作シリーズ*** 悲恋炎上、そしてここから ***
承香殿女御が皇子を無事出産したことを受けて、都は以前の活気を取り戻している。
誰もが皇子の誕生を喜び祝い、名だたる貴族たちは連日連夜の宴を開き、世の中はお祝いムード一色である。
一日の政務を終え、清涼殿に戻ったわたしは、ふと、外の気配に耳をそばだてた。
初秋の夜空には望月が浮かび、その月光が庭の呉竹の葉を照らし出している。
ふいに風が吹き、呉竹の葉を揺らした。
暑かった夏も終わり、季節は確実に移ろっているようだ。
実りの秋、収穫の秋、宮中では新嘗祭、豊明節会と続き、五節の舞が宮廷を華やかに彩ることだろう。
文字通り、慶事続きとなる。
だが・・・。
「ふぅ・・・」
わたしはため息をついた。
どうにも気分がすぐれない。
原因はわかっている。
わかってはいるが、晴らすことができないでいる。
仮にわたしがもっと気軽な身分であったなら、あるいは晴らすことができたかも知れない。
誰かに聞いてもらうと言う手もあるだろう。
酒に逃げるか、女に溺れるか、あるいは・・・・出家か・・。
だが、帝と言うわたしの立場では現実的に無理である。
「主上、右近少将が参られましたが」
ふいに声を掛けられて振り向くと、大納言典侍が庇に控えていた。
高彬か。
頼んであった書類を、早々に仕上げたと見える。
「ここへ」
短く答えると、典侍は立ち上がりかけ、ふと動きを止めた。
「秋風は身体に障りますゆえ、格子を下ろさせましょう」
大納言典侍は五十をとうに過ぎた古参女房であり、わたしが幼い頃より仕えていたこともあり、時々は母のような口調になる。
「もう少し・・・月を愛でていたい」
大納言典侍は小さく頷き、ふと声を落とし
「主上、あまりお悩みなされますな。すべてが過ぎたことでございますよ」
呟くようなひそやかな声で言った。
「・・・・・」
さすがは古参女房だ。
平常通りに振舞っていても、わたしの心の闇を見破っていたらしい。
目で頷いて見せると、大納言典侍は一礼し、するすると下がっていった。
入れ替わるように高彬が現れ、簀子縁に腰を下ろすと平伏し、わたしが声を掛けるのを待っている。
「もう仕上げたのか。仕事が早いな」
「は」
深々と頭を下げる高彬は、おそらくはわたしが良しと言うまで頭を上げないだろうと思われ、ふと微笑を誘われた。
相変わらずの堅物ぶりだな。高彬。
・・・だが、もしかしたらわたしは失っていたかもしれないのだ。
この臣下を。義弟を。
『高彬が若死にでもすれば、瑠璃姫を尚侍として出仕を・・・』
以前、そんなことを言ったことがあったが、今、思えばとんでもない言葉であったと思う。
そんなことがないと思えばこその戯言、軽口であった。
扇を鳴らすと、高彬は深々と頭を下げ、立ち上がるために顔をあげ、月明かりがあたった横顔を見た時、ふいにその思いが湧きあがった。
あるいは、高彬なら。
「・・・時間はあるか。高彬」
気付いたらそんな言葉を口にしていた。
腰を浮かしかけた高彬は、一瞬、視線をあげ、すぐに
「ございます」
短く答え、座り直した。
「今宵は月が美しい。・・・少しばかり、おまえと話がしたい。いや、話と言うほどのものでもない。独り言だ。そこで聞いてくれるだけで良い。返事は不要だ」
一気に言うと、高彬は平伏しながら
「は」
どこまでも礼を失わずに言う。
「そう畏まるな、高彬。臣下としてではなく、義弟としてだ。顔を上げろ」
ゆっくりと高彬が顔をあげ、わたしは、ふと夜空に目をやった。
澄み切った秋の空に浮かぶ月は、いっそ不吉なほどに美しい。
「・・・あの日から、心の休まる日はなかった・・・」
はっとしたようにわたしを見る高彬の気配があったが、目をそらしたまま続ける。
「皆がわたしを気遣う。女御を亡くし、幼い東宮をも亡くし、そして信頼していた臣下に裏切られた悲劇の帝として。さっきの女房もそうだ。皆の気遣いは嬉しく思う。・・・・だが」
いったん言葉を飲み込み、わたしは心の澱を吐き出した。
「わたしの真の苦しみはそこではない」
ゆっくりと目を閉じる。闇が広がる。
「わたしは・・・幼い東宮を・・・愛していなかったようだ・・」
秋の風が、また呉竹を揺らしている。
「承香殿が皇子を生んだとき、それがはっきりとわかった。白梅院で初めて対面したとき、皇子の姿に心が震えた。抱き上げたとき、嘘ではなく身体が震えた。だが・・・東宮のとき、これほどの思いは湧かなかった・・・」
わたしは小さくため息をついた。
「父の愛情を知らないままに、東宮を死なせてしまった。桐壺にも・・・気の毒なことをした。後宮での生活は不安な日々だったと思う。2人に済まないことをした・・・・」
ずっと棘となっていた思い。
「死なれたことはもちろん辛く悲しい。だが、それよりも愛してやれなかったことが悔やまれるのだ。その思いがわたしを責め続ける・・・」
わたしは二人に何をしてやった?
「高彬。どうやらわたしは愚帝のようだ。とてものこと人の上にたつような器ではない。一人の妻も、一人の我が子も守ってやれなかったのだよ・・・」
秋の空の闇は深くどこまでも吸い込まれていきそうになる。
どれほどの時間がたっただろう。
ふいに虫の音が聞こえ、わたしは我に返った。
「高彬。引き止めて悪かったな。今の話は忘れてくれ」
声を掛けると高彬は平伏したまま、返事もなくその場を動こうとしない。
「どうした。下がっていいぞ。瑠璃姫がおまえの帰りを首を長くして待っているのだろう。おまえたちの夫婦仲の良さは、殿上でももっぱらの評判だと聞いておるぞ」
聞こえているのかいないのか、高彬は微動だにしなかった。
「あまり引き止めると瑠璃姫に・・・・」
「恐れながら申し上げます」
高彬がわたしの話を遮り、珍しいこともあるものだと内心思っていると
「月の美しさに誘われたのか、わたくしも独り言をつぶやいてみとうなりました。畏れ多いことながら、義弟の独り言に、少しばかりのお時間を頂戴できますでしょうか」
「ほぅ」
高彬が独り言とは。
仕事の愚痴か、はたまた婚家での鬱憤か。
わたしはふと興味を引かれ軽く身を乗り出した。
「よし、わたしはここで月を眺めているとしよう。今宵の月の美しさは格別だ。返事はせぬ。その独り言、申してみよ」
「は」
高彬の顔はなぜだか強ばっているように見えた。
居住まいを正し小さく息を整えると、高彬は静かに語りだした。
そこから始まる義弟の独り言は、わたしの想像をはるかに超えた、衝撃の内容のものだった・・・。
*************************************************
夜も更けた頃、わたしはひっそりとした網代車に乗り、一路、白梅院を目指していた。
月明かりが網代車の影をくっきりと作っている。
最初は、お忍びなどとんでもないことだと目をむいていた大納言典侍も、わたしのただならぬ様子に何か感ずるものがあったのか、すべてを良き様に取り計らってくれた。
それでも出掛けには
「主上、二刻だけでございますよ。それ以上は、わたくしには押さえが利きませぬゆえ」
と念を押されてしまった。
車に揺られながら、思い出していた。
遠い昔、まだ東宮だった頃、こんなふうにお忍びで宮廷を抜け出したことがあった。
その時、わたしの身代わりとなって部屋にいたのは・・・・。
白梅院に着くと、承香殿のいる対の屋の庭先にまで車を付けさせ、慌てふためく白梅院の女房らや従者を尻目に、わたしはものも言わずに室内に飛び込んだ。
「・・まぁ、主上・・・!」
突然のわたしの登場にすっかり驚いた様子の承香殿の顔を見た途端、わたしは女御を、公子を抱きしめていた。
「主上・・!どうなさいましたの・・・」
驚きつつも、柔らかな笑いを含んだ公子の声は、わたしの顔を見ると一変した。
「何かございましたの?主上」
心配げに見つめる公子の顔は、出産のためか幾分、面やつれはしていたが、それでも母となった自信がそうさせるのか、以前よりもさらに美しく慈悲に溢れているように思われた。
「公子・・・」
わたしは縋るような思いで公子の手を取った。
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「高彬が・・・そのような話を・・・」
わたしの話を聞くと、公子はそう言ったきり絶句してしまった。
「そうだ。この耳で聞いた・・・」
「にわかには信じがたいお話ですが・・・・でも・・・高彬が言うのであれば真の話なのでしょう・・・」
わたしは大きく頷いた。
そう。あれが嘘をつくはずがない。
「・・・では・・・・皆・・・生きておられるのですね・・・」
公子は声を詰まらせ、わたしは何度も頷いた。
「良かった・・・。生きておられるのならば・・・・良かった・・・」
袖口で顔を覆い流れる涙をぬぐっている。
「わたくし、東宮さまのことを思うと胸がつぶれる思いがしておりましたの・・・。死は痛ましいものですが、とりわけ幼い子の死はむごく痛ましいものですわ・・・。自分が皇子をお生み申し上げてからは、桐壺女御さまのお気持ちはいかばかりだったかと・・・・」
公子が小さく合図をすると、隣室から乳母に抱かれた皇子が入ってきた。
乳母から公子へ、そしてわたしへと渡される。
「・・・少し見ないうちに・・・大きくなったようだな」
幼い皇子はわたしに向かい、その小さな手を伸ばしてきた。
「父が・・・わかるのか・・・」
公子もそっと寄り添うように皇子を覗き込んだ。
産着を通して伝わる柔らかな身体が、無心に光を宿すその瞳が、命の温かさを伝えている。
「命とは・・・まばゆいものだな・・・」
呟くと
「えぇ・・・」
公子は新たな涙を誘われたように声を詰まらせた。
「我が子とは・・・可愛いものだな・・・」
声がかすれ、わたしの頬にも一筋の涙が伝う。
「えぇ・・・そうでございますわね・・・主上・・」
公子が隣で何度も頷き、そうしてわたしたちは寄り添い、飽きることなく皇子を見つめ続けた。
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朝の政務の前、高彬を呼びつけた。
すぐにやってきた高彬は、昨夜と同じように簀子縁に腰を下ろすと平伏した。
緊張しているように見えるのは、多分、気のせいではないだろう。
「・・・・礼を言うぞ、高彬」
声をかけると、はっと顔を上げ、すぐに深々と頭をさげた。
「瑠璃姫も、おまえも・・・危うい目に合わせた。許せ」
「もったいないお言葉でございます」
実直な声で高彬が答え、そのまま平伏している。
「実は・・・折り入って頼みたいことがある。鳥辺山に投げうったままの焼死体だが・・・どうかねんごろに弔ってやって欲しい。そして、帥の宮の縁者で探し出せるものは都に呼び戻し、なにがしかの仕事を与えてやってもらいたい。難儀な仕事だが引き受けてくれるか。おまえにしか頼めない」
高彬は顔をあげると
「もったいないお言葉でございます。誠心誠意つとめる所存でございます」
深々と頭を下げ、その声はほんの少しだけ震え、高彬の隠しきれない感情が伝わってくるようだった。
高彬。
おまえが義弟で嬉しく思うぞ。
目の前には清々しい朝の秋の空が広がっている。
遠野宮よ、おまえもこの空をどこかで見上げているのか。
今、どんな暮らしをしている。
宮育ちのおまえには辛いことも多かろう。
だが、生き抜け。
愛する妻と子のために命を賭けられたおまえだ。
命ある限り、生き抜いて欲しい。
そして、いつかまた会おう。
昔のように戯言を言い合って笑い合おう。
「・・・この空は和泉まで続いているのであろうか」
呟くと、はっと高彬が顔を上げた気配があった。
少しの沈黙のあと
「御意に」
深々と頭を下げ高彬は答えた。低く力強い声だった。
見上げた空はどこまでも青く、闇ははるか彼方へと遠ざけられているようだった。
風が吹き、また呉竹の葉を揺らした。
<終>
原作シリーズ、ここに完結いたします!お付き合いありがとうございました。
彼らの未来に幸あれ!
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非公開さま(Kさま)
Kさん、こんにちは。
この話を書いたのはかなり前のことになりますが、私自身でも思い入れのある話です。
こんな未来だったらいいな、と思い、長いこと温めていた話でした。
お読みいただきありがとうございました。
この話を書いたのはかなり前のことになりますが、私自身でも思い入れのある話です。
こんな未来だったらいいな、と思い、長いこと温めていた話でした。
お読みいただきありがとうございました。
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あさぎさま
> ようやく弔う事ができて、都を追われた人達にも何かできる事があるというのは、高彬自身にとっても救いになりますよね。
そうだと思います。
> まあ私的には、鷹男にからかわれるの図も好きなんですけどね~(爆)
やっぱり・・・(笑)
そうだと思います。
> まあ私的には、鷹男にからかわれるの図も好きなんですけどね~(爆)
やっぱり・・・(笑)
No title
高彬は帥の宮邸で、たくさんの罪のない人々や焼死体を見たでしょうし、ましてや鳥辺山の焼死体は自分が運んだもの。
鷹男に真実を話せない限り何もできなかったけど、きっと心を痛めていたでしょうね。
ようやく弔う事ができて、都を追われた人達にも何かできる事があるというのは、高彬自身にとっても救いになりますよね。
鷹男にも、そして承香殿さまにも、本当の安らぎが訪れてよかったです。
鷹男には、「偉大なる義弟」のありがたみを存分に感じていただいた所で、あんまりいじめないでよ~!とお願いしておきます(笑)
まあ私的には、鷹男にからかわれるの図も好きなんですけどね~(爆)
鷹男に真実を話せない限り何もできなかったけど、きっと心を痛めていたでしょうね。
ようやく弔う事ができて、都を追われた人達にも何かできる事があるというのは、高彬自身にとっても救いになりますよね。
鷹男にも、そして承香殿さまにも、本当の安らぎが訪れてよかったです。
鷹男には、「偉大なる義弟」のありがたみを存分に感じていただいた所で、あんまりいじめないでよ~!とお願いしておきます(笑)
まあ私的には、鷹男にからかわれるの図も好きなんですけどね~(爆)
ヨッシーさま
> 瑠璃さんにチョッカイだして、二人で遊んで欲しいです(///ω///)♪
> 鷹男は、それでなくちゃって思いました。
私はですねぇ、もう瑠璃にちょっかい出して欲しくないんですよ・・・鷹男に。
なんか、そこは成長して欲しいかなって。
せめて高彬をからかうくらいにしてもらいたいですね(笑)
> 鷹男は、それでなくちゃって思いました。
私はですねぇ、もう瑠璃にちょっかい出して欲しくないんですよ・・・鷹男に。
なんか、そこは成長して欲しいかなって。
せめて高彬をからかうくらいにしてもらいたいですね(笑)
かいちゃんさま
> 色々あったけど皆が幸せになってよかったですよね(*^^*)
そうですね。亡くなった人は救えなかったけれど、でも、帥の宮が生き抜くことが唯一の供養になるんじゃないかと思います。
そうですね。亡くなった人は救えなかったけれど、でも、帥の宮が生き抜くことが唯一の供養になるんじゃないかと思います。
霧氷さま
> いつかどこかで再会できたら、今度は何の下心もなく、高彬をからかいながら三人で笑いあって欲しいです。
高彬はやっぱり、いじられキャラなんでしょうかね(笑)
帥の宮も高彬のことは好きだったんじゃないかと思います。
高彬はやっぱり、いじられキャラなんでしょうかね(笑)
帥の宮も高彬のことは好きだったんじゃないかと思います。
No title
高彬が、義弟で良かったですよね。帝命だし、瑠璃さんが、嫉妬するぐらいO(≧∇≦)O 高彬をからかうぐらいに元気になれますね。鷹男に、幸せになって欲しいです。瑠璃さんにチョッカイだして、二人で遊んで欲しいです(///ω///)♪
鷹男は、それでなくちゃって思いました。
鷹男は、それでなくちゃって思いました。
No title
現代版とはうってかわって、しんみりと悲しい中にも最後には希望の見える話で、きっとみんなが望んだ話なんじゃないかと思います(*^^*)色々あったけど皆が幸せになってよかったですよね(*^^*)つぎは瑠璃さんと高彬の子供を待つのみですかね(笑)
No title
「高彬、おまえが義弟で嬉しく思うぞ」
本当に、この一言に尽きますね。
瑠璃は、あの事件で、(それまで無自覚だった)自分の中の高彬の存在の大きさに初めて気づいたのでしょうけど、鷹男もたぶんそうなんでしょうね。
決して目立たないけど、気付かない所で常に自分を支えてくれて、どこまでも誠実な臣下。
高彬を得られたことは、鷹男にとってどれだけ幸運なことか。
鷹男の頼み事は、高彬にとっても救いなのかな。
いつかどこかで再会できたら、今度は何の下心もなく、高彬をからかいながら三人で笑いあって欲しいです。
鷹男と高彬のお話、また読みたいです☆
本当に、この一言に尽きますね。
瑠璃は、あの事件で、(それまで無自覚だった)自分の中の高彬の存在の大きさに初めて気づいたのでしょうけど、鷹男もたぶんそうなんでしょうね。
決して目立たないけど、気付かない所で常に自分を支えてくれて、どこまでも誠実な臣下。
高彬を得られたことは、鷹男にとってどれだけ幸運なことか。
鷹男の頼み事は、高彬にとっても救いなのかな。
いつかどこかで再会できたら、今度は何の下心もなく、高彬をからかいながら三人で笑いあって欲しいです。
鷹男と高彬のお話、また読みたいです☆